橋本建築設計
2011年3月22日

港町

未曾有の災害から10日が経ちました。その被害の大きさを目の当たりにして、被害にあった方々には掛ける言葉も見つかりません。何と言って良いのやら・・・、励ましの言葉もお悔やみの言葉も、これっぽっちも思い浮かびません。

 

私は港町で生まれ育ちました。風土気候は違っても、日本各地、どの港町に行っても故郷に通じる「懐かしさ」を感じます。狭い道にひしめき合って建つ民家。錆びた鉄と色あせた木の壁。磯の香りと油の匂い。無造作に積み上げられた漁具や発泡スチロールの箱。埋立地、堤防、灯台・・・、そして港町に暮らす人々。

 

ほんの数年前に訪れた気仙沼や南三陸町からも、そんな「懐かしさ」を感じました。報道などでは何度もその惨状を目にし、あのとき立ち寄った気仙沼の魚市場や食堂、土産物屋や南三陸町の街が壊滅的なダメージを受けたことはわかりますが、あのとき出会った方々がどうなってしまったのかはわかりません。恐らく、すべての人が無事だったというわけにはいかないと思います。

 

まだ被害の全容がわかっていない地域もあり、安否不明の方も多数いるなか、幸いにして特になんの被害も受けなかった私ができることは多くはありません。この災害を忘れたいとも思いませんし、忘れることもありませんが、必要以上に悲しむこともしなければ、必要以上の自粛や節約もしません。私は前を見ていつも通りの生活をしていくだけです。そして、こんなことを言うのは早すぎるかもしれませんが、いつか被災した地域が復興し、「もう私たちは大丈夫だから、また遊びに来て下さい。」という声が聞こえるようになったら、是非また遊びに行きたいと思います。